第Ⅰ章 ホロスコープの悪戯
 第Ⅱ章 アーゼマは優しく笑い、サリャクは悟る
 第Ⅲ章 The moon laughs at the end
 第Ⅳ章 恋慕ゴールデンドロップ
 
 
 
 
 
 
 

 《夢占い:月について》
 夢に浮かぶ月は本性・本心の象徴と言われている。
 
 
 
 
 
 
 
 
Ⅰ、ホロスコープの悪戯
 
 
 
「なら、今ここでリンクシェルで確かめなさい」
 さあ、さあ。早く。お嬢様が僕にけしかける。
 僕は、震える手で耳元を押さえた。そんなわけない。あり得ない。僕の恋人が──ノロが浮気なんてするはずがない。緊張で少し乾いた口を開く。
『ノロ、ごめん。今大丈夫?』
 上ずった声。ちゃんといつも通り、平常にしゃべれているのだろうか。鼓動の音が煩い。煩くて、会話が聞き取れなかったらどうしてくれるんだ。自分の心臓が恨めしい。
『ああ、ロワ、どうした』
 変わりないノロの声が聞こえて、心臓が大きく跳ねる。動揺する必要なんてないはずなのに。堂々としていればいいはずなのに。急に息苦しくなって、胸元を押さえようとしたが、目の前でじっとこちらを見つめているお嬢様に見られたくなくてやめる。
「最近あんまり会えなくて、どうしてるかなって思って。その、寂しい思いさせてないかなって」
『ああ』と少し間があって、ノロが続けた。
『寂しいけど、毎日一緒にいてくれる奴がいるから耐えられるよ』
 痛い。そう感じたのは心臓がひときわ大きく跳ねたからだった。加えて頭を小槌で叩かれたようにくらくらした。それが錯覚だとわかっていても、思わずふらつきそうになる。
 毎日、一緒にいてくれる? それって一体、誰だ?
『そ、そうか。なら安心だな』
 ──安心? 安心ってどこが? わけのわからない自分の受け答えに僕はさらに苦しくなって、ついに「ねえ、顔が真っ青よ」とお嬢様に指摘される程だった。
 彼女の方を見ると、にまにまと笑みを作り、勝ち誇った顔が憎らしい。
 そんなわけない。そんなわけない。大丈夫に決まってる。必死に否定した。
「ノロに会いに行ってきます」
 吐き出すようにそれだけ言って、気がつけば走り出していた。
 
 
 

 
 
 
 ──もうずっと同じ夢を見る。

 三日月があまりにも美しくて、少し悲しそうに光っていた。なんで悲しそうだと思ったのか、それは多分、キラキラと輝く光が時より鋭く、青く光って見えたからだろう。
 ああ、この月は泣いていると思った。孤独に光り輝く月を見ているとどこか胸がきゅんと寂しくなるような切なさを感じた。
 月下には森が広がっていて、さらに三日月から月光が注がれて淡く光る湖があった。湖の水は澄んでいるが、深いようで底までは見えない。
 湖の中をじっと見つめていると不意にどこからともなく声が聞こえた。その声は決まってロワの名前だけを呼び続ける。
 ──ロワ。ロワ。
 辺りを見渡すが、声の主が見当たらない。そしてその声が下から聞こえるような気がした。
 ──もしかして湖の中から聞こえる?
 声に誘われるようにして、ロワは湖に飛び込んだ。
 夢の中のロワは夢中になって声を求めて泳ぐ。
 だけど、どんなに泳いだって、声の主は見当たらない。
 ──ロワ。
 ロワは周囲を何度も見渡す。
 湖の中にはロワを除いて他に誰もいない。どんなに探しても、ここにいるのはロワ一人だけだ。声の主が姿を表すこともなく、何度同じ夢を見ても、声の主が誰かはわからずじまいだった。
 だけど、その声は懐かしくて、優しくて、すがって甘えたくなるような声だ。

  ──この声を、僕は知っている。
 もっと声を近くで聞きたくて、手あたり次第に辺りを泳ぐ。だけど、もがいても、もがいても、声の元になかなか辿り着くことができない。必死に泳ぐのに『ロワ』と名前を呼ぶ声はむしろ遠ざかるばかりで、ロワはついに疲れきって、水底の砂の上で不貞腐れた。
 次第に悲しくなって、気がつけばすすり泣きながら、目が覚める。
 枕が涙で濡れる日々があまりにも続くのに、何の夢を見ていたのか朝には忘れてしまう。
 だから、夜中に目覚めた時、寝ぼけ眼をこすり、あらかじめ枕元に用意しておいたメモ用紙とペンで夢の内容を書き留めたのだ。
 
 
 
「疲れているのよ」
 そうきっぱり断言したのは、ロワが仕える東方の商人のお嬢様だ。疲れている、と一言で済まされるにしてはあまりにも高頻度で同じ夢を見る。そんな簡単な言葉で片付けられるのは不服だった。
「お嬢様ならもっと良いアドバイスを下さるかと思ったのですが」
「ふーん? ならこの私が、占星術で、占ってあげましょうか? 安くしとくわよ」
 自信満々といった顏でどこからともなくタロットカードを出して微笑むアウラ族の少女。紅い瞳は不適に笑い、長く伸ばした真っ直ぐな髪をくるくると指先で弄ぶ。
 よくもまあ、いけしゃあしゃあと、とロワは呆れた。
 彼女の占いは、そう、一言で言えば、当たらない。それを決定付けたのは今からちょうど一か月程前のことだった。
 
 クガネの酒場──潮風亭から頼まれた安楽椅子がようやく完成し、届けに行った時だった。
 いつもは酔っ払い達で賑わっている店内が、何やら騒ぎがあったらしい。人だかりができている。
「イカサマだ」「詐欺だ」「エセ占い師が逃げるぞ」などと人々が言うものだから、珍しい馬鹿がいたものだ、なんて他人事のように思っていた。
 人だかりができているのは三階の方だった。何気なく上を見た瞬間、ドサリと目の前に何かが現れ、思わず後ずさる。一瞬何が起きたのかわからなかったが、すぐにそれが三階から飛び降りてきた人間だとわかった。
 全身黒ずくめの衣装。腰回りにいくつもの宝石を垂らした煌びやかな装飾。長いハットに顔を隠す黒い布。どこからどう見ても占星術師だ。
「エセだなんて失礼しちゃう」
 不服そうな女性の声。その留めの一言にロワは背筋が凍った。彼女こそ今潮風亭を賑わせている渦中の人だ。そしてもう一つわかったことがある。彼女は、おそらく……大変に遺憾ではあるのだが、自分が仕えているお嬢様だ。
 落ち着き払った少し高めの声と、一瞬見えた紅い瞳。
 間違いない。その声に、瞳に、覚えがあった。
 開いた口が塞がらない。
 ロワが呆けている間に、お嬢様は夜の闇に溶けるように颯爽と消えたのだった。
 階段から降りてきたのはクガネでは珍しいヴィエラ族の男で、呆然としているロワの目の前で彼はリュックを背負いながら呟いた。
「占いなんて下らない」
 占い自体は否定しないが、こと“お嬢様の占い”に関してはごもっともだと頷いてしまった。
 あの晩のことを、今思い出すだけでも肝が冷える。その日から占い師に対してクガネ中に‘潮風亭出入りお断り’の貼り紙が貼られた。所謂、出禁だ。
「お客が何人も法外、高額にギルをせしめられたらしくてね……店側が客同士のいざこざに介入するのも野暮ってもんかもしれないけどね。あの占い師は出禁にしたよ。また同じことされちゃ、参るからね」
 潮風亭のコトカゼはため息をついてそう言っていた。

 目元以外は変装して見えなかったのが何よりの救いだ。彼女は事件のことをロワには言わないし、ロワもその事には触れていないから、当然ばれていないと思ってのこの堂々とした面持ちなのだろう。
 何はともあれ、ロワも無駄金は御免だ。
「間に合っております、お嬢様」
「あら残念。久々に腕を奮ってあげようと思ったのに」
 心底残念そうに、大袈裟に肩を下げる彼女。アウラ族特有の竜の尾もへたりと元気を失くしたように地面を向いている。
 しかし、こんなことに惑わされる程、ロワは彼女に対して甘くない。
 彼女の考えていることはお見通しだった。様子を見る限りだと、おそらく、欲しい装備か素材があるのだろう。商人の娘と言えど、冒険者であり、その上、執事を雇うような過保護な親に育てられてはいるが彼女のギル事情は他の冒険者と変わらない。
『小遣いが欲しければ冒険者なんて辞めて帰ってきなさい』
 ご主人様は彼女に度々モグレターで手紙を寄越すが当の本人はその場で破棄する勢いで、首をふっては冒険者として旅を謳歌している。つまりギルは、冒険している上で自ら稼いでいく他ない。お転婆お嬢様の自給自足生活というわけだ。
「考えてみれば、最近、あまりロワには自由な時間がないでしょ?」
「確かに、言われてみればそうかもしれませんね」
 誰のせいで、と思う。
 連日連夜、昼も夜もご主人様からの指示でお嬢様のお勤めに付き合わされている。休みといえばここ最近少ない気がした。というより、ほぼ無い。
「今夜の調理師ギルドの品評会に参加したら当分の間、私のことは放っておいて自由にしていいわよ」
「ですが……」
「冒険者としては貴方より私の方が数百倍も優秀なんだから、貴方なんてどっかいってしまいなさい。というか、前に言ったでしょ? 私達の協定、覚えてないなんて言わせないわよ」
 協定。それはもちろん覚えていた。
「一つ、冒険者であるときはお互い干渉しない。二つ、ご主人様に報告するお嬢様の近状報告にはお互い口裏を合わせること」
「よろしい。優秀よ。流石は私の執事だけあるわ」
 こうした結託は雇い主には申し訳ないが、必要悪だと思う。こんなお転婆娘の面倒逐一見ていられるかと思うからだ。おとなしくワンピースを着て、部屋の椅子に座っていられるほど彼女は
「ただ、最近、ご主人様より言いつけられる夜会やら何やらが過剰に多い気がするのですが、お嬢様、何かやらかしましたか?」
 涼しそうな顔をしていたお嬢様の顔はみるみる赤くなっていく。大方、例のエセ占い師事件がばれたのだろう。反応を見る限りどうやら推測は間違いない。
「……うるさいわね。貴方は気にしなくて良いのよ。あとそれも今夜で最後よ。もうへまはしないわ。ほら、行くわよ」
 長い髪をすくように手で払いながら、お嬢様はスタスタとエーテライトに向かって歩いて行く。ロワもその後を追う。へまはしない。その言葉に一抹の不安を覚えつつ、今は今夜の夜会でお嬢様が粗相無くいることを祈るので頭が一杯だった。
 
 
 
「はい、これはタルトタタン、こっちはシフォンケーキ、でこっちがラノシアオレンジの……」
 正直胸焼けがしそうな程甘いものばかりの品評会だった。
「お嬢様、僕の分は結構ですから……」とはっきりいらないと伝えているにも関わらず、「遠慮は良くないわよ。今日は私がロワにケーキを持ってきてあげるから、ここで待っていて」なんてにこにこしながら次々に皿に山盛りのケーキを盛ってくるのだから、困ったものだ。ここは食べ放題のバイキングじゃないし、遠慮なんて一つもしていないというのに。
「うっ……もう食べれませんから……」
「もう、情けないわね。お水持ってきてあげたわよ」
 差し出されたまま「ありがとうございます」と受け取ったそれを勢いよく飲み干す。そして思わずむせそうになった。まさしくそれは水ではなく……。
「お嬢様、これは水じゃなくて……酒ですよ」
 甘いものでただでさえ苦しい身体に、喉が焼けるほど度の強い酒が流し込まれる。
「水も酒も似たようなものよ」
 お転婆な彼女のせいなのか、喉を通った酒のせいなのか、目の前がぐらりと揺れた。
「もう、情けないわね……少しはノロくんを見習ったらどうなの? きっと彼がここにいたら無言でモキュモキュっと全部平らげるわよ」
「モキュモキュ……?」
「そうよ、モキュモキュよ」
 ロワはさらにまだまだ残っているスイーツを見つめた。確かに、これくらいの量、ノロだったらぺろりと食べてしまうに違いない。
「ねぇ、さっきの夢の話なんだけど」
 得意気に微笑んでいるのを見るとどうしても無下に出来ず、どうせ大したことなど言われないのだとわかっていても、ロワは彼女に真摯に向き合う。
「ええ……なんでしょう」
「貴方最近、彼に会ってるの?」
「彼……ノロですか? 会えてはいませんが、リンクシェルで連絡はとっていますよ」
 ノロと口にして、なんだか懐かしいように感じたのは嘘ではない。彼とは恋仲に落ちたものの最近は互いに忙しく随分と長いこと会っていなかった。そう、多分かれこれ一ヶ月程、会えていない。
「それってさ、狂わない?」
 お嬢様は言った。狂うの意味がわからなかった。
「狂う?」
「例えば貴方という人がいて、貴方の生活があって、それが毎日規則正しく時計のように動いている。時計にはねじ回しが必要で、そのねじを失くしてしまったら、ねえ。その時計はどうなると思う?」
「……何をおっしゃりたいんです?」
「リンクシェルで連絡をとっているからって、油断してはだめよ」
「つまり?」
「浮気よ。きっと貴方、なんとなく察しているのよ。それで夢を見るんだわ」
「浮気? 意味がわかりません」
 思わず大きな声を出してしまった。ノロが浮気? 考えたこともなかった。
「実はね、さっきドレスルームで占ってみたのよ。ノロくんに恋の相が出ているの」
「何勝手に占ってるんですかお嬢様」
 僕は占いなんて信じない。特にお嬢様の占いなんて、絶対に信じない。それに、ノロの浮気なんて可能性も微塵も考えたことがない。
 だけど、言葉には力がある。一度聞いてしまえば意識してしまうというのが人の性。
 ロワの脳裏に、嫌な予感が浮かぶ。
 考えてみれば、あまりに長くノロに会っていない。最後に会ったのは一ヶ月程前。もしかしたら、愛想つかされたりとか、そういう可能性もあるのではないか。人間の脳というものは勝手気ままに悪い方、悪い方へと想像を膨らませる。もやもやが眼前のミルフィーユよりも幾層にも重なって、やがてロワの心に暗い雲のようなものを残した。
「そんなこと絶対にあり得ない」
「なんで俯いてるのよ」
「僕は信用してますから」
「今ここでリンクシェルで確かめなさい」
「え?」
「心配事は思い立ったが解決って言うでしょ」
「そんな格言は初めて聞きました」
「つべこべ言ってないで早くやりなさい。さあさあ早く」
「……わかりました」
 この数分後、ロワは夜会など放ってノロの元へ駆けつけるようになるわけだった。
 
 
 
 *
 
 
 
 高地ラノシアにある温泉保養地。その奥地の小屋にノロの家がある。
 自分でも何をそんなに焦っているんだと思う。違う。違う。決して疑っているのではない。疑ってはいないけど、会ってちゃんと証明したいだけだ。
 ノロは自分ではわかっていないかもしれないけど、モテる。巴術ギルドの受付の子だってノロの前では声音が少し高くなる。図書館に一緒に行くと、その立ち姿に熱い視線を送っている子を目撃したことだってある。偶然一緒になった依頼の冒険者だって、連絡先やリンクシェルを渡してこようとする。ただノロの反応と言えばいまいちで、どうでも良さそうに適当にあしらっていることが多い。
 ノロに恋愛感情なんてなくても、相手がってことも可能性的にはある。じゃなきゃ、毎日会いに来るだなんて……。
『浮気よ』
 お嬢様の言葉が脳裏に何度も響く。
「ああもう……」
 考えていたらキリがない。
 ノロの家には誰もいなかった。いつもレポートを書いている机にも姿がない。ベットにもいない。風呂にもいない。第一どこも明かりがついていない。探し回って、ノロのベットに腰かける。
 リンクシェルを使おうか。迷ったが、今は直接顔を見て話したかったから、それは今更無しな気がした。しかし、どうしたものか。このまま待っていれば、そのうち帰ってくるだろうか。いや、それにしても落ち着かない。
 机の上に置かれたティーポットが目に付く。ノロが自分で淹れたのだろうか。中身がほとんど減ってないし、淹れてからだいぶ時間が経っているようで、もう湯気も出ていなかった。ノロが自分で紅茶を淹れるのを、見たことがない。だとすると、誰が淹れたのだろう。息が詰まりそうになったところで、コンコンコンと窓ガラスが思考を遮るように揺れる。ロワは何事かと反射的に構えた。こういうところ、冒険者として職業病のようなものだよな。隠した召喚本に手を添え、音が鳴り続ける窓に恐る恐る近づいて、窓を開けた。
「……トンベリ?」
 窓を叩いているのはなんと緑色の皮膚にまん丸い頭をした、トンベリというモンスターだった。普段ワンダラーパレスを徘徊しているモンスター。鋭利な刃物を持ってこちらを突き刺す様は容赦なく、一度敵を捕らえれば死の淵まで追ってくる。
 そんなモンスターを目前にすれば、警戒しないわけにいかなかった。昔、ワンダラーパレスを探索した時に、急所を狙われ痛い目にあったこともある。滑り込むトンベリの刃。研ぎ澄まされた刃先が難なく血肉を割く。腰の古傷が痛んだ。このモンスターが容赦ないのは身をもって知っている。
 こちらの警戒を気にした様子も無く、トンベリはランタンを両手で掲げて揺らす。
 そのまましばらく様子を見ていたが、自慢の包丁を出す気は無さそうだった。戦いに備えているこちらがなんだか逆に滑稽だ。
 警戒をしてるのが馬鹿らしくなって、トンベリがいる窓に近づく。トンベリはどうやら窓の外に設置されている脚立に乗っているようだった。この脚立はノロがこの子の為に設置したのだろうか。高さもちょうど合わせたようにトンベリの背丈とぴったりだ。
「君……ノロに用事があるの? 生憎今居ないみたいで、僕も探してるところなんだけど、知ってたりするのかな」
 通じるかわからないが試しに話しかけてみた。トンベリに話しかけたところで答えなんてどうせ返ってこないのを百も承知だったが、今はモンスターにさえすがりたい気分だった。
 ──もう誰でもいいから、ノロの居場所を教えてくれ。
 そんなロワの気持ちに答えるように、トンベリが片手に持ったランタンを大事そうに掲げて、脚立から飛び降りた。そして、付いてこいと言わんばかりに振り返る。
 いくら焦っているからといって恋人を探す道中でモンスターについていくなんて、どんな馬鹿げた話だろう。罠だったらどうする? だけど不思議とそのトンベリには害が無い気がして、ロワは暗闇の中で月のように揺れるランタンの後を追うことにした。

 Ⅱ、アーゼマは優しく笑い、サリャクは悟る
 
 ペパーミント、ライトニングミント、マンドレイク、ガーリック。苗や土に触れると、心が落ち着く。それにわくわくするんだ。そう言って度々ノロが畑に行くのをロワは知っている。
「ペパーミントができたら僕に少しわけてほしい」
「わかった。何かに使うのか?」
 ──どれくらいいる? 作っとく。
 その言葉に少し申し訳なさを感じた。ノロには先程、しばらく会えないかもしれないと伝えたばかりだった。だけど、ロワは何がなんでも会いに来るつもりだったし、またすぐ会えるだろうと、甘く見ていた。
「ミントラッシーを作るよ。だから、一緒に飲もう」
 最後にノロの家に泊りに行った日に、こんな会話をしたのを薄っすらと思い出した。
 なんだか一か月前が一年前くらいに懐かしく感じて、思わずため息が出る。
 二・三日で、二人で甘酸っぱいミントラッシーを口にできると思っていた。だけど、蓋を開けてみればあれから一ヶ月。想定していたよりもずっと会えない期間が長かった。
 
 少し俯きがちに歩いていたら、目の前を案内するように先導してくれていたトンベリを見失った。気が付けば周囲は月明りだけが頼りの薄暗い森だった。
 あいつ、どこに行った? 夢の中と同じように、自分が一人きりになったような感覚に陥って、泣きたくなった。
 山道を、それも獣道を歩いて来た。しかもこんな真夜中に、だ。普段自分が歩いている整備された道ではなく、草木をかき分けて進む森の中は夜の暗さもあって、孤独だ。おまけに遺跡が残る高地ラノシアの土地は所々、地面から岩が突出しており、一人で転んだら格好悪いことこの上ない。みじめさが増すに違いない。どうにか足場の悪い道を慎重に手探りで進んだ。
「トンベリって意外とすばしっこいんだな……置いてくなよ」
 独り言。呟いてみて、その言葉ごと闇に吸われていくような森の静けさが怖い。
「ロワ」
 はっと上を向く。今の独り言、誰かに聞かれたかもしれないと思うと、急に恥ずかしい。
 名前を呼んだ相手が誰だかわかると、そんなしょうもないロワの羞恥心は一瞬で吹き飛んだ。
「ああ、良かった……会えた」
 月のように黄色い双眸。湖のように青い髪。ロワがずっと会いたかった恋人──ノロだ。ロワの背丈程高い位置からこちらを見下ろしていた。
「こいつが、騒いでて、来てみた」
 ノロの足元に、先程前を歩いていたトンベリがいた。刃物を無言でこちらに突き出している。刃先が光って一瞬ひやっとした。
「え、ちょっと、ノロ、待った。そいつの言葉がわかるのか?」
 ノロはコクリと頷いた。トンベリの大きな黄色の目を見てもその表情から何を思っているのかはさっぱりわからない。あと、その手に持つ刃物がこちらを向いているのも怖い。
 ──どこら辺で? どのようにこいつを理解してるんだ? 
 今も何か言っているのだろうか。だけど、ロワには一かけらも解読できそうになかった。
「よく日中にこいつが来るから、二人で窓際で話す」
 ノロが差し出す手をとって、引っ張り上げてもらう。触れた手の力強さに、やっと会えたと思った。一ヶ月ぶりに触れた。
「通りで人懐っこいわけだ」
 崖から上がったところで、繋いだ手をノロは離さずにいてくれたことに安堵する。
「こんな真夜中にどうしたんだ?」
「それはこっちのセリフだよ、ノロ。家にいないからびっくりした……その、焦った」
「少し畑の様子が気になって。連日ここは雨だったから様子を見に来たんだ」
 それで、と話をノロが戻す。
「血相変えて、こんな夜中にどうした? スーツ、ボロボロだぞ?」
 自分がどういう状態か、見てみる。靴は泥だらけだし、服はどこかに引っ掻けたのか解れている箇所もある。頭や肩には葉っぱが所々にくっついているし、こんな姿、ノロにこそ見せたくない。何やってるんだろう。少し惨めになって苦笑する。
「あぁ、ホントだ……これは酷いな。……早く戻って紅茶でも飲もう。久々だし、その、色々話したいことがあるんだ」
 色々、という濁した部分。それをいざ話すとなると結構勇気がいりそうだと思った。
「わかった。ああ、そうだ、少し待っててくれ」
 ノロが不意に思いだしたように、踵を返し畑の方に向かう。文字通り少しの間待っていると、ノロが手に何かを握っていた。
 ペパーミントだった。
 
 
 

 
 
 
 家に戻ってすぐ二人とも泥や葉っぱや土埃で汚れた体を風呂で洗い流した。
 やっと落ち着いてロワの淹れた紅茶を飲むときには既に時計が夜の十二時を指していた。
 暖炉の前で二人して肩を並べてやわらか絨毯の上に座る。
 やばい。心臓がうるさい。何から切り出したら良いか、わからない。ノロ、さっきリンクシェルで言ってた人って誰? いや、これは直球すぎるかも。浮気、してるの? これは早まりすぎ。ああ、もうどうしようか。
「寂しかった」
 沈黙を破ったのはノロだった。
「え?」
「一ヶ月も会えないのは初めてだったから」
「僕もだよ……会いたかった」
 思えば、ノロとロワは、少なくとも三日に一度くらいは何かしらで顔をあわせてきた。巴術士ギルドや図書館、グランドカンパニーから頼まれる仕事。そのどこかで一緒になったし、気がつけば一緒にいるような間柄だった。それが突然一ヶ月も穴が開けば、やはり寂しくもなる。
「あのさ、毎日、一緒にいてくれる奴って、その……誰なんだ?」
「……一緒にいてくれる奴?」
「さっきリンクシェルで話してた……」
 結局ロワは、あまり回りくどいことを言わずに、素直に聞いてみることにした。
 ノロの沈黙が怖い。一秒一秒が遅い。こういう時待つのって無限に感じる。
 少し考えてから、ノロがああと声を上げた。
「トンベリ」
 きっぱりと答える。先程の沈黙はなんだったのかという程、すがすがしくそう言い放つ。
 ロワはそのトンベリという四文字が一瞬なんのことだかわからなくなって、呆けた顔をした。
「トンベリ?」
「さっきの。あいつ、日中によく遊びに来るんだよ」
 ランタンを掲げて前を歩くトンベリを思い出す。あの小さなモンスターが毎日、ノロの寂しさを埋めてくれていたらしい。
「なんだ、そっか……ふふ……」
 急に笑いが込み上げてきた。なんという盛大な勘違いなのだろう。
 ノロが浮気だなんて、お嬢様の言葉に一瞬でも惑わされ、取り乱していた自分が恥ずかしい。
「どうした?」
 ノロが不思議そうな顔でロワを見る。ロワはおかしくて、笑いながら、抱えていた膝に脱力して頭をのせた。
「いや、ノロらしいなって思って。トンベリと仲良しって、いいなそれ。あいつ、名前とかあるの?」
「名前は聞いたことがないな。けど、よく木の実とか、色々拾ってきてくれるよ」
「なんだよそれ、すごすぎ」
「そうか?」
「そうだよ」
 ロワにつられて、ノロも少し嬉しそうに笑う。
「ロワの笑顔、久々に見た」
「うん……久々に笑った気がする」
 ほっとして、頬が緩む。今日、ここに来て、ノロと話ができて良かった。
 唐突に頬に水滴が滑り落ちる感覚がした。もしかしてさっき風呂に入ったときに、拭くのが甘くて、額から水滴が落ちてきたのかと思ったのに、違った。
「あれ……?」
 ポロポロと頬を伝うのは単なる水滴ではなく、涙だった。こんな時に、なんで? 自分でも涙の意味がわからない。
「ロワ、泣いてる?」
「あれ、可笑しいな」
 ノロが心配そうに覗き込む。だけどロワの涙は止まらない。別にどこも悲しくない。今は何もかも安心して、心も穏やかなのに。拭いきれない涙が、首筋を伝う。服にポタリポタリと染みを残す。
「止まらない」
 ノロが撫でるように、ロワの頬に触れ、涙を拭う。
「悲しいことでもあったのか?」
「ううん」
 頭を撫でられて、ノロが落ち着かせようとしてくれたのだとわかる。涙はその間もぽたぽたと流れていく。
 おかしいなと首をかしげていると、ノロがロワの額に優しくキスをした。そこから目元、頬へと、なだめるように柔らかい口付けを続ける。
 なんだかくすぐったい。自分が子供扱いをされているみたいで悔しくなって、今度はロワがノロの唇を奪う。触れるだけのキスをして、離れると、ノロと視線が重なった。
 それから、どちらともなくちゅっちゅっと触れては離れ、触れては離れの口づけを繰り返し、時々ロワの頬を伝う涙を、ノロが吸ったり、舐めたりする。
 猫が毛繕いをするように、舐めて安心させようとしてくれているみたいで、無性に恥ずかしかった。
 それでも涙は流れ続けた。早く止まってくれればいいのに、どうしたことか涙は止まってくれない。塞き止められていたものが一気に溢れ出したように、止まる兆しが見えなかった。
「ノロ、少し口開けて」
 素直に口を開いたノロの下唇を吸い、舌を絡める。もう涙なんてどうでもいい。どうせ自分の意思では止められないし、今はノロを感じたい。
 ロワは涙が流れ続けるのに構わず、ノロとのキスに夢中になった。
 
 
 

 
 
 
 快感と熱に犯されて、ぼうっとしていた。
「ロワ」
 朦朧とした意識の中で、その声はぼんやり聞こえた。この一ヶ月、何度も何度も反芻して見た夢。誰かがロワを呼ぶ。その声の主と今聞こえている声が同じだと今更気づいた。夢の中の声は、ノロの声だったのか。そう思うと、もっと名前を呼んで欲しいと思った。
 あの夢の中でロワは最後には必ず泣いた。夢の中で感じた悲しさは朝、目が覚めた時に痛いほど残っていた。焦燥、虚無、そして孤独と喪失。全部ぐちゃぐちゃになって胸につっかえたように、苦しかった。押し潰されるような悲しさに、わけもわからないまま枕が涙で濡れていた。
 だけど今ならわかる。なんであんなに悲しかったのか。
 仰向けの自分に覆いかぶさっているノロの頬に手を当てた。
 ノロにずっと会えなくて、寂しかったんだ。そんな単純なことすら気づけていなかった。少しくらい会えなくたって大丈夫と高を括っていた。それが結果的にあの悪夢になっていたような気がした。加えてこの様だ。泣き腫らした目が痛いのと、なだめるように額にキスされたのを思い出して苦笑する。
 今目の前に、ノロがいて、名前を呼んでくれる。体に触れることができる。
 何度もキスをして、一ヶ月、触れられなかった分を埋め合わせるように互いの体温を貪る。全てが愛おしくてたまらない。そう思うと、また違う意味で、涙が出た。せっかく止まったばかりだというのに。
 秘部にノロのものを受け入れて何度も突かれ、その度にロワの口からはなまめかしい吐息が漏れた。肩を震わせて呼吸する程、全身でノロを感じていた。
 そのうち止まるだろう。そんな風に気軽く考えていたのに、再び流れ出した涙はまだ止まらなかった。頬を伝うごとに、伝った場所がひりひりと痛む。もう、これ以上泣きたくないのに、まるで涙腺が壊れてしまったようにロワは幾度も涙を流した。
「ロワ、また泣いてる」
「いいから……もっと……んっあっ……」
 ノロが音をたてて、太ももにキスをする。チクリとした甘い痺れに身震いする。びくりと体が反射的に反応する。太ももに赤い花弁のような痣がつくのを確認して、ロワは熱っぽい視線をノロに向けた。
「もっと、何をしてほしい?」
「もっと呼んで……僕の名前……」
「ロワ」
「もっと」
「ロワ」
 それから耳朶を噛み、首筋や胸に口付けを落としながら何度も何度もノロはロワの名前を呼んだ。ロワはその度に足りない、もっと、とわがままな子供のように甘えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 Ⅲ、The moon laughs at the end 
 
 
 その日から、ロワは三日月と湖の夢を見なくなった。夢の後に、泣くこともない。
 それは多分、もう夢を見る必要がなくなったのだと、ロワは思っている。
 もう夢なんか見なくても、ちゃんと名前を呼んでくれる人がいて、その人に触れることができる。だからもう、ロワにあの夢は必要ない。
 そう思うと、どこかすっきりした。
 ノロが丹精込めて作ってくれたペパーミントでミントラッシーを作り、二人で肩を並べて飲みながら、あの夢の話をした。二人の目の前には偶然アドネール占星台から借りてきた夢占いの本が広げられている。本のタイトルは『解明夢占い』。
「その夢、見なくなったって不思議だな。結果的に良かったんだろうけど」
 話を聞いたノロの第一声がそれだ。
「うん。ここだけの話、切羽詰まりすぎてお嬢様にまで相談した」
「え……あの例の、シロガネ占星術師詐欺事件のお嬢様に相談したのか?」
「魔が差したとはまさにこういうことかな。僕、かなり参ってたみたいだ」
 ノロはびっくりした顔をしていたが、ロワの一言でくっくと笑った。
「あ、ほら、月の項目。夢に出てくる月は本心の象徴、だって。ロワも何か心の底で望んでいたものがあったのかもしれない」
「それが解決したから、もう見なくなったのかもね」
 しばらく考えるように黙っていたが、もしかして、と思い立ったようにノロが口を開く。
「声が、関係してるのかもしれないな。これはあくまで推測だけど、この夢占いの本に書いてある通り、月が本心だっていうなら、その夢はロワの本心って可能性がある。心から望んでいるものが夢になったのかもしれない。湖の中で探していた声が、ロワの欲しかったものを体現しているとしたら、その声の持ち主って、誰だったんだ?」
「えっ?」
 ぎくりとした。ここから先は心の底にしまっておくつもりだったのに、ノロはやけに鋭いところをついてくる。
「結局、その声ってやつは、誰の声だかわかったのかなって思って。夢の中で探し回る程気になったんだろ?」
「そ、それは……その……」
 ぼそぼそと、わざと聞こえないように小さな声でその名を呟いてから、これは拷問だと思った。
 月が本心の象徴とまで言われて、あの夢の解釈を改めてすると恥ずかしくてならない。
 ──だって僕は、湖の中でノロの声を探し回っていた。会いたくて会いたくて仕方がなかった。夢の中では結局会えずにみじめに泣き続けていた自分を晒すようで、そんなの恥ずかしいに決まってる。
「悪い、聞こえなかった。もう一回」
「だめだ。教えない」
「この間言ってた難解な巴術本の算術、解きたいって言ってただろ。今日教えてあげようって思ってたのに、いいのか?」
「ノロ、ずるいぞ……ああ、もう、わかったよ。一回しか言わないからな。あの声は……」
 ──ノロの声だと思う。
 答えを聞いた後、ノロは少しだけ固まって、みるみるうちに真っ赤になった。
 それはすぐにロワにも伝染して、二人してそっぽを向き顔を押さえたり、目の前にあった本をぱらぱらと無駄に捲る。
「た、多分その、あの日、ノロに何度も名前を呼んでもらったから、気がすんだのかなって。だからもう、夢に見なくなったのかなって思って……その」
 自分でも何を言っているのかわからなくなって、余計に焦る。
「待て、ロワ……それ以上言わなくて良いから」
「だよね……ちょっと黙る」
 一旦黙って、ミントラッシーを飲み込む。甘酸っぱい。
「えっとノロ……その、さ……これからはもっとちゃんと会いに来るから」
「わかったから」
 耳まで赤くなるノロを見て、果たして自分はどんな顔をしているのだろうかと思う。ノロに負けじと真っ赤になっているに違いなかった。
 もう一度、真っ赤になっているノロの耳をちらりと盗み見て、ロワは微笑んだ。
 
 
 
 かくして、ロワの夢は解決され、二人の非日常は、日常へと戻っていったのだった。ネジを回された時計が規則正しく動き出すように、二人の時もまたゆっくりと進み始めた。

 
 それから間もなくして、お嬢様からモグメールが届いた。
『ああでもしないと、貴方、相手の予定も何もかも無視して会いになんて行かないでしょう? 占星術師の新式装備、待ってるから。色はピュアホワイトがいいわ』
 まさか、この展開まで想像していたような文面だった。ついでに、お嬢様の憎たらしい程得意気な顔が浮かぶ。
 さらにしばらくして、戦場で華やかにステラバーストを炸裂させる新式姿の彼女が目撃されたと、多数情報がノロとロワの耳に入った。ロワはそれに関して「僕には関係ないことだよ」の一点張りで、他に何も語ろうとはしなかった。

 
 
 
 
 ────────
 
  The moon laughs at the end
(月は最後に笑う)
 
 ※一章タイトルのアーゼマはノロ君の守護神で、サリャクはロワの守護神です。
 ※ロワは学者クエストを終えておりません。ノロは学者クエストクリア済です。

 
 
 

Ⅳ、恋慕ゴールデンドロップ

「紅茶を淹れた時、最後の一滴が一番美味しいって言われてる」
「へぇ、知らなかった」
「ゴールデン・ドロップって言うんだ」
 紅茶に対するロワのこだわりを聞くのが好きだ。嬉しそうに話してる横顔。その視線がこちらを見つめる瞬間。全てがいとおしく感じられる。好きだと思う瞬間の一つだ。
 
 
 

 
 
 
 これ以上は続けても埒が明かないと、ノロは読みかけの本を閉じた。先程から何度も何度も気がつけば同じところを読んでいる。内容がその度にまったく頭に入らないのが嫌になった。
 諦めたように顔をあげて正面の窓を見れば外は大雨だった。ポツポツ。雨が窓に当たって音をたてる。
 ここ数日続いた低気圧のせいか、なんだかずっとぼんやりしている。思うように頭が働かないのは、進まない読書で嫌というほど実証済みだ。
 雨と薄っすら青白い空。
「薄花色だな」
 言葉で表すなら、これがぴったりだと不意に思った。詩人でもあるまいし、なんだか心まで湿っぽいような気がして思わず立ち上がる。立ち上がってどうしようという考えもなかったが、キッチンまで行ってグラスに一杯の水を入れて、飲んだ。味のない透明の液体が喉を通る。
 
 ──何か、物足りない。
 
 何だろう。こうもっと鼻に抜けて、渋くて。ああ、そうだ。今は水ではなく紅茶が飲みたいんだ。それも自分で淹れるのではなく、恋人──ロワに淹れてもらったものを。
 ロワに最後に会った日から何日経っただろう。指折り数えれば片手では足りず、折り返して二つまで数えた。七。もう一週間も会っていないのだと気づいた。
 はっとして、ノロはガタンとグラスを置いた。
「あ、ペパーミント」
 あの日。あの晴れた日。最後にロワと会った日。次に会うまでにペパーミントを作っておく約束をした。この大雨の中、大丈夫なのだろうか。心配になり、番傘を携え、急いで部屋を出た。向かう先はノロが手入れしている畑だ。
 
 少し忙しくなるかも。そうロワに打ち明けられたのは一週間前。今日のような大雨とは違って、気持が良い快晴の日だった。畑に新しい苗を植え終えて、水筒にいれた紅茶を恋人と二人、切株に腰かけて飲む。今日は暑いからと、ロワが氷を入れてくれたから、水筒の中身は冷えていた。喉を通る紅茶の冷たさが汗をかいた体に染み渡るようだった。
 鼻に抜ける心地良い渋さに、当分ロワの淹れる紅茶は飲めないかもしれないと思うと、いつもより一層、その一口一口を大事に飲んだ。
 そうか、当分ロワと会えないのか。頭ではわかった。だけど、心ではそれがなんだか遠い現実のようで、あまり実感がわかない。
「ペパーミントができたら僕に少しわけてほしい」
 ロワが畑を眺めながら切り出した。
「わかった。何かに使うのか?」
「ミントラッシーを作るよ。だから、一緒に飲もう」
 ミントラッシーか。初めてリムサロミンサで店売りのものを飲んだ時のことを思い出す。ドマやクガネでよく食べられている梅とはまた違った部類の酸味があって、発酵した山羊乳にミントのさわやかさが絶妙だ。冒険者となる前はあまり馴染みがない味だったが、最初こそ戸惑ったものの、今では時々買って飲むくらいには慣れた。
 ロワが作るミントラッシーはきっと、店売りなんかよりもっと美味いに決まってる。
「一緒に飲もう」
 その言葉のおかげで、次に会う日までがさらに楽しみになった。
 
 ずっと楽しみにしていた。ロワと二人でミントラッシーを飲むこと。なのに、畑のペパーミントは枯れていた。雨量が多すぎたのだ。番傘を叩く雨の音が一層大きくなるのを聞きながら、ノロは静かにため息をついた。
 帰り途中に、グリダニアに寄って天気予報士に天気を聞いた。天気予報士は笑顔で答えてくれた。
「明後日より快晴が続くでしょう」
 ペパーミントを植え直すのは必然的に明後日に決まった。それまでにロワが寄宿舎に寄ったら、正直にごめんと一つ謝ろう。約束したのに、油断した。だから、手作りミントラッシーはしばしお預けだ。
 色々と段取りが決まれば早速行動に出た。土と苗ならやはりあそこしかない。ノロはグリダニアのエーテライトから西の橋を渡って花屋タニに向かった。
 
 
 
 テレポートでキャンプ・ブロンズレイクに戻り、寄宿先までの道のりを再び番傘を差して戻る。
 行きよりも足取りはゆっくりで、頭はさらにぼうっとしていた。
 向こうの方にランプポストの光が見え始め、あと少しで着くと思ったその時だった。
 カサカサと草むらで何かが動くのが見えた。何だろう。ノロは立ち止まって警戒する。
 じっと息をひそめるとまた草むらが揺れた。気になって、音の方へそっと近づく。
「……トンベリ?」
 草むらの揺れている場所を覗き込むとそこには緑のずんぐりむっくりしたモンスターが倒れていた。まるでバケツが転んだように力なく地面に倒れて、苦しそうに震えている。よく見ると、体の至る所に擦り傷や切り傷を負っていて、特に酷いのが肩からの出血だった。
「お前、怪我してるのか?」
 まるで人間が倒れているかのように駆け込んで、ノロはトンベリに声をかける。
 モンスターを助ける義理など持ち合わせていないのに、その時のノロの頭の中は、どうしたら助かるのかという思いでいっぱいだった。
 
 
 

 
 
 
 エオルゼアにおいて天気予報士の予報に外れはない。誰からも信頼されるし、特に漁師やモブハンターからは絶大な支持がある。誰もがその言葉を信じて疑わない。だから、予報通り、今日も見事に快晴となった。
「一緒に行くか?」
 包帯だらけのトンベリがたどたどしく近づいてきて、ノロが一歩歩けばその後に続く。一緒に行くってことか。なんとなく察しがついて、トンベリがついてこられるような速度でゆっくりと歩き始めた。
 少し歩いたところでトンベリは小石に躓いて転んだ。傷口は既に閉じてはいるが。流れて、失った血はいくら優秀な癒し手でも戻すことはできない。あとは本人の生命力頼みといったところだ。トンベリの状態もまだ決して万全ではない。見兼ねたノロがそっとトンベリを抱えて、今度は普段通りの速度で歩き始めた。
 
 一昨日の夜。大雨の中保護したトンベリを夜通し手当した。お陰であの日は寝不足だったが、朝トンベリを寝かせたベットの脇で目が覚めて、規則正しい寝息と、穏やかそうなトンベリの寝顔を見て安堵した。
 パチリと目を開けたトンベリを見て、ふとロワの使いか何かかな、と思った。自分が来られない代わりにこいつを寄越したのか? 猛烈な眠気もあったのかもしれない。だけど、その時はそんな風に思えた。……多分、違うけど。
「だいぶ良くなったけど、もう少しかかりそうだな、お前」
 トンベリはノロに抱き抱えられながらも特に何も答えなかったが、肩の包帯をさすってみせた。
 肩は一番深い傷を負っていた箇所だ。しっかりヒールを施しておいたから、外傷はもうほぼ直ってはいるが、それでもまだ弱っている皮膚には軟膏を塗りつけているし、まだまだ安心できる状態ではない。
「あんま触ると、治りが遅くなるぞ」
 ノロが一言忠告すれば、トンベリはぴたりとやめた。
 かつてニーム時代。ワンダラーパレスで生まれたのがトンベリというモンスターだ。学者として研究や頼まれごとを解決している間に、その実態というものが解明された。彼らが人の言葉を理解するのをノロは知っていた。だからノロの言葉も彼らは当たり前に理解ができるはずだという確信があった。
「えらいえらい」
 頭を撫でると、トンベリはその手を軽く 振り払う。どこか照れ屋な子なのかもしれない。そう思うと愛着が湧いてくるのだった。
 
 畑に着いてから、土をならし、苗を植えていく。
「ぼうっとしている暇なんてないな」
 次こそ枯らさないようにちゃんと天気も見なくては。天気予報士は地方の拠点にはおらず大都市にいる為に、依頼や作戦で忙しくしているとついつい聞き漏れてしまうことが多い。だが、ノロとて園芸に慣れていないわけじゃない。むしろ趣味程には好きだ。だから、次はきっと大丈夫というどことない確信があった。
 ミントラッシーのこともあるわけで。そう思うとなお頑張れる気がした。
 最近会えない恋人。薄花色と琥珀色のオッドアイ。次に会った時、あの双眸を見つめて何を話そうか。そうだな。トンベリは意外と良心的で、優しいってことから話そうか。
 そんなことを思いながら、横で怪我のしていない足を使って土をならすトンベリを眺めた。恩返しとでも思っているのだろうか。トンベリは見よう見まねで畑の手入れを手伝ってくれた。その姿がまた愛らしい。
「あんまり張り切りすぎると、傷開くぞ」
 ノロの一声で、無造作にやっていた土ならしを今度はゆっくり丁寧に始めるのだった。
 
 
 
『ノロ、元気か?』
 その日の夜、リンクシェルの音が鳴った。相手はロワだ。たった一週間ぶりだというのに、ノロと呼ぶ声がとても懐かしく感じられた。
『ああ、こっちは変わらずだ。そっちは?』
『僕も元気だよ。会いに行けそうって思ったんだけど、もう少しかかりそうなんだ』
『俺のことはいいから、ちゃんと仕事、やってこいよ』
『うん……ありがとう。ごめん……想像以上に忙しくて』
 ごめん。申し訳なさそうに言うロワの顔が脳裏に浮かぶ。
『わかってるから』
 一番、今言いたいことは、会いたい。この一言のはずだ。なのに、今それ言うのはなんとなく良くない気がして、言うことができない。
『もう少ししたら落ち着くと思うんだけど、なかなかスケジュールをびっしり入れられていてさ。多分こんなのウルヴズジェイル雲隠れ事件以来だよ……前に話した、お嬢様が参加していたフロントラインの戦線で冒険者が一人消えた事件。覚えてるか?』
『ああ、あれも突拍子もない話だったよな』
『そうだよ。お嬢様が問題を起こしたと思ったら、砕氷戦のフィールドがあまりにも綺麗だからって撮影に夢中になった冒険者が凍死寸前になってたなんて間の抜けた話だった』
 それからしばらく当たり障りのない話をして、『また、連絡する』と、最後にロワが言ってから、リンクシェルの通信が切れた。
 声を聞けた。それだけで今は良いじゃないか。
 会いたいのはきっと、お互い様だ。
 言い聞かせるようにして、再び目の前に広げた本に向き合い、没頭した。
 胸が少しだけ、チクリと痛んだ。自分についた嘘の痛みだった。
 
 
 

 
 
 
 紅茶中毒というわけではないけれど、紅茶が飲みたい。ずっと味わえてないあの絶妙な渋さが恋しいと最近強く感じるようになった。
「どうかな?」
 ベットの横にある窓枠。ちょこんと座ったトンベリが紅茶カップを持つのをノロは真剣に見つめた。
 
 しばらくノロの寄宿小屋で療養していたトンベリが、なから自分で動くことができるようになると、ふらりとどこかへ消えた。きっと自分の棲みかに帰っていったのだろう。もう会うこともないかもしれない。そんな風に思っていると、毎日ノーブルグレープやピクシープラム、カモミールといった採集物やどこから拾ってきたのかマテリジャやその他色んなものを届けてくれるようになった。その度に、返事はなかったが世間話やらノロの身の上話に付き合ってくれたりするし、なんだか親しい友人ができたような気分だった。少々照れくさかったが恋人の話もした。返事はもちろんないが、無言で聞いて、話し相手のようなことをしてくれる。ノロの話が終わると走り去っていくといった毎日だ。
 トンベリの不思議なところは何故か玄関口ではなく、ベットの隣にある窓の桟を愛用の包丁で叩いて自分が来たということを知らせてくることだった。背伸びしてやっとの思いで窓を叩いてる姿を目撃し、不憫に思ったノロはトンベリ用にそこへ脚立を置いてやった。おかげで刃で傷つけられつつあった窓の劣化までも防げたのはかなりの功績だ。
「これは……譜面?」
 差し出された紙の束を見て、ノロが感嘆の声をあげた。書かれているのはどうやら“トンベリの涙”という曲のようだった。
「ありがとう。大事にする」
 ノロの言葉に満足そうに包丁を掲げ、去ろうとするその背中にさらに声をかける。
「あぁ待って。これちょっと飲んでみてほしい」
 ノロは急いでキッチンに行き、ちょうど淹れたての紅茶カップを持った。
 すぐに踵を返し、トンベリに差し出す。
「紅茶、淹れてみたんだけどさ……ほら前に話したロワの得意な紅茶。あれに近づけようって思って淹れてみたのに、何か違うんだ」
 トンベリは指のないのっぺりとした両手でカップを挟むようにして持ち上げ、くいっと勢いよく飲んだ。
「どうだ?」
 コクりと一つだけ頷いた。続いてもう一口。立て続けに三口目で飲み干す。
「……旨いか?」
 ノロのその言葉にトンベリは一瞬気まずそうに視線を泳がせてから、紅茶カップをノロに突き返すと、窓から飛び降りて走り去る。
 その一部始終を真剣に見ていたノロは、最後に思わず笑った。
「なんだよ、逃げることないのに」
 キッチンまで戻り、自分でも再び紅茶を飲んでみる。首をかしげた。
「なんか、違う……」
 よくわからないまま、水よりはましかと紅茶を片手に巴術ギルドにあったワンダラーパレスの古文書を読み進めた。
 
 
 
 

 
 
 
 ──ノロさん知ってますか? クガネの事件のこと。
 
 時々、アドネール占星台から本を借りては読む。今日も借りていた本を返しがてら何か面白い本は無いかと訪れたそこで、研究員に声をかけられた。
「あぁ、確か占星術士の占い師が潮風亭を出禁になった事件だったか?」
 もちろんロワから散々話を聞いていたから、知っているに決まっていた。多分そんじょそこらの情報屋よりも詳しくそれについては知っていたが、あえて触り程度にしか知らない風を装った。何より、ロワの為にそうした。
「そうなんですよ。占星術士の名前を汚しやがってって占星台のみんなもカンカンだったんですけどね、あの後、驚くことが起きたんですよ」
「なるほど、興味があるな」
「でしょ? あの後ね、聖ガンリオル占星院に手紙が届いたんです」
 手紙の差出人はなんと、潮風亭で騙されたと大騒ぎをした客の一人だった。そしてその手紙の内容がさらに驚きで、一言で言えば感謝状だったという。
「あのエセ占い師の占いがね、当たってたって言うんですよ。差出人はおかげでエタバン詐欺を免れたってことで、身元不明の占星術士にどうしてもお礼が言いたいとかで、手紙を寄越したようでして」
「あながちエセでもなかったってわけか」
「ええ、ええ。どうやらキャシーイヤリングまで買ってプロポーズしようとしたのをぎりぎりのところで阻止できたとかなんとか。凄いですよね……キャシーイヤリング持ってかれてエタバン相手も詐欺だったなんてことになったら、私なら雲海に身を投げるかもしれません」
 研究員が興奮して話しているのを聞きながら、ふとノロはあるものに興味を持った。
 研究員の立っているちょうど後ろの棚。上から二段目にそれはあった。
「これ、借りてってもいいかな?」
「さてはノロさん、占いに興味を持たれました?」
「そういうのじゃないんだけど、少し読んでみてもいいかなって、単なる気まぐれだよ」
 研究員はすぐに脚立に乗って本を取ってくれた。
「はい、どうぞ。解明夢占い。私も読んだことありますけど、なかなか興味深いですよ」
 それからいくつか本を吟味し、何冊か借りた。寄宿小屋に戻り、懲りずにまた紅茶を淹れてから、さっそく借りてきた学者の算術研究の資料に没頭したのだった。
 
 
 

 
 
 
 夜中に目が覚めたのは、怖い夢を見たからとか喉が乾いたとかそういう理由でもなく、窓を叩く音だった。寝ぼけ眼をこすり、眼鏡をかけて窓の方を見ればこんな夜中というのにトンベリの影が見えた。
「どうした、こんな夜中に」
 窓を開けてトンベリに話しかけると、トンベリが慌てたように夜空を包丁で指し示す。ああ、と納得した。空には今にも落ちてきそうな暗雲が立ち込めていて、所々ピカリと光っていた。あれは多分雷だ。これは嵐がくる。軽い雨ならまだしも、あれはまずそうだ。
 急いで飛び起きた。
 トンベリにレインコートを着せて、雨避けを携えて畑まで急ぐ。
 着いた頃には大粒の雨が降りだして、内心焦るばかりだった。
 今度は、枯らせたくない。絶対に。その一心で畑に雨避けを被せた。
 
 畑の処置を終えて、休む間もなく寄宿舎まで急いで戻る。
 家に着いてからすぐに、雨で重くなったずぶ濡れのレインコートを脱いだ。トンベリのレインコートも脱がしてやって、冷えるような寒さにすぐに暖炉に火を焚く。
「ありがとうな。お前のお陰だ」
 トンベリはちらっとノロを見たが、何てことなさそうに素っ気なく、ただ暖炉の前で座っていた。暖炉の前で陣取るその後ろ姿。今晩の英雄はトンベリだった。大雨から見事畑を救い出してくれた。トンベリがいなければ、今頃、前と同じ過ちに泣きを見るところだった。そう思うと、ひやりとした。
 トンベリは、しばらくすると暖炉の前で眠ったように動かなくなった。実際眠ったのかもしれない。規則正しい呼吸はおそらく寝息に違いない。
 トンベリにそっとブランケットをかけてからノロは「おやすみ」と言った。
 さて、自分も休みかという時にふと思い立つ。
 真夜中で、しかも畑仕事の後で疲れていた。だけど、ふと温かい紅茶が飲みたくなった。
 お湯を沸かして、茶葉をポットに入れ、湯を注ぐ。カップに注いだ紅茶を一口飲む。
 やはりこんなときでもどこか物足りない味に思わず苦笑した。
 
 
 

 
 
 
 冷めた紅茶ほど不味いものはない。淹れてから時間の経った紅茶を口にして初めて身に染みた。
 
『ノロ、ごめん。今大丈夫?』
 ロワからリンクシェルに通信が入ったのは、ノロが手にしていたカップをちょうど机に置いた時だった。
 交信先で、人々のガヤガヤとした雑音が時折混じる。その雑音が少し気に食わなかった。
『ああ、ロワ、どうした』
『最近あんまり会えなくて、どうしてるかなって思って。その、寂しい思いさせてないかなって』
『ああ……寂しいけど、毎日一緒にいてくれる奴がいるから耐えられるよ』
 なんでそんな含むような言い方をしたのか自分でもよくわからない。
『そ、そうか。なら安心だな』
 少し焦ったようなロワの声にやってしまったと思った。
『ねえ、顔が真っ青よ』
 聞こえたのは女性の声で、多分この声は、ロワの仕えるお嬢様の声だと察しがついた。やっぱり少し意地悪なことを言い過ぎたかもしれない。内心どぎまぎしながら、なんだか落ち着かなくて、リンクシェルが切れた後、真夜中だというのに出掛けた。行き先はペパーミントがそろそろ頃合いな畑だ。
 畑に着いてから、切り株に座って夜空を眺めていた。今晩は雲一つない夜空だ。遠くで流れ星がいくつも落ちて、美しさに目を奪われる。畑も月明かりで明るくて、そこにいるだけで気持ちが落ち着いた。それなのに、なんで今、こんなに寂しい気持ちになるのだろう。俺は、なんで一人で空を見ているんだろう。なんで……なんで隣にロワがいないんだろう。
 不意にあることが浮かぶ。そうだ。会いに、行ってみようか。相手が忙しいのはわかってるけど、一度くらい、押し掛けてみたって別にどうってことないんじゃないか?
 思い立って立ち上がった時だった。カサカサと草むらで音がして、トンベリが草むらを掻き分けて現れた。
「どうした?」
 少し離れたところで立ち止まり、ランタンをかざした。そして、今度は踵を返して元来た森の方へと戻っていく。
「そっちに何かあるのか?」
 ノロは重い腰をあげて、立ち上がった。
 
 トンベリについて行った先には、スーツをボロボロにして泥と葉っぱに汚れたロワが立っていた。
 ロワの白い肌は月明かりのせいなのか、少しやつれたせいなのか、いつにも増して青く見える。
 久々に会えた恋人を今すぐに抱き締めたかった。だけど、どう接したらいいのかわからず、とりあえずは急いで畑のペパーミントを少しもぎとってから、ロワの手を繋ぎ、引っ張るようにして寄宿舎へ引き返した。
 
 
 

 
 
 
「寂しかった」
 暖炉の前で肩を並べて座ると、不意に口からついて出た。あまりにも素直な言葉に、一瞬自分でも焦った、がまあ今さら自分の本心を隠しても仕方がないと思った。
「え?」
 ロワがびっくりしたような顔をする。
「一ヶ月も会えないのは初めてだったから」
「僕もだよ。会いたかった。……あのさ、毎日、一緒にいてくれる奴って、その、誰なんだ?」
「……一緒にいてくれる奴?」
 やっぱり気にしていたのだと思った。自分でも少々嫌な言い方をしたとは思っていたけれど、少し聞きずらそうにしながら言うロワの目を見て息がつまる。
「さっきリンクシェルで話してた……」
「トンベリ」
「トンベリ?」
「さっきの。あいつ、日中によく遊びに来るんだよ」
 紛らわしい言い方をしてごめん。一言そう言おうとしたのに、突然ロワが笑いだす。
「なんだ、そっか……ふふ……」
「どうした?」
「いや、ノロらしいなって思って。トンベリと仲良しって、いいなそれ。あいつ、名前とかあるの?」
 余程、ノロの答えが嬉しかったのだろう。吹っ切れたようにロワが喋りだした。
「名前は聞いたことがないな。けど、よく木の実とか、色々拾ってきてくれるよ」
「なんだよそれ、すごすぎ」
「そうか?」
「そうだよ」
 視線があう。久々に会って、正直どこか気まずくて、まともに顔を見れていなかったことに気づく。
 だけど今は、しっかりと見つめることができた。焼きたてのハニーマフィンみたいに、柔らかそうな笑顔。こちらまで思わずつられてしまう優しいノロの顔が目の前にあった。
「ロワの笑顔、久々に見た」
「うん……久々に笑った気がする。あれ?」
 ロワの頬に涙が伝う。ボロッと大粒の涙が一筋こぼれたのを、ノロは見逃さなかった。
「ロワ、泣いてる?」
「あれ、可笑しいな……止まらない」
 ロワが目を擦る。擦った先からまた涙がこぼれ落ちていく。
 ノロはロワの頬にそっと触れて、涙を拭った。
「悲しいことでもあったのか?」
「ううん」
 頭を撫でて、額にキスをする。さらにロワの頬にボロボロと涙がこぼれていく。なだめるように、目元や頬へと、口付けを続けたが涙が止まることはなかった。触れるのをやめて抱き締めようとした時だった。
「ノロ、少し口開けて」
 ノロは一瞬戸惑ったが、ロワに言われるがまま従った。深くキスされて、ロワが泣き続けているというのに、興奮して心臓が甘く痺れるように跳ねた。
 
 
 
 もう触れ方すら、忘れてしまっているのではないかと思う程、久々に肌に触れた気がした。実際に触れると、そんな心配は全く必要なくて、ここにキスをすれば気持ちがいいとか、ここが弱い場所とか、そういうものが手に取るようにわかって安堵した。
「ノロ、もうそこ、いいから」
 余裕もなかったけど、ちゃんと慣らしてじっくり触れたくてロワの体をゆっくり執拗に触れていく。
「もう、欲しい」
 上気した頬。上目使いでこちらを見てくる。泣き止んでなお、潤んだ瞳が恥ずかしそうに揺れる。一ヶ月もご無沙汰だった。だからそんな顔をされれば歯止めなどきくわけもない。
 いきなり一番奥まで突くとロワがしがみついて震えた。はぁと吐き出す息に感じているような声が混じる。無意識なんだろうけど、それがまたこちらを煽ってくる。
「深い……」
「まだ全部じゃない」
 ぐりぐりと押し付けるように腰を進めるとロワが快感に怯えるように、ノロの首に腕を回してしがみつく。
「ロワ、かわいい」
 突然噛みつくようなキスをされる。何度か唇を重ねて、その間に腰を動かせば、ロワの吐息が合間合間に漏れた。
 二人だけの時間。今、ロワの吐息も体温も、感じることができるのは自分だけだ。久々だからなのか、独占欲のような、優越感のようなものが膨れ上がっている気がした。
 もう、あんまり長く会えない日が来るのは嫌だ。次はちゃんと、会いに行こう。
「今度は俺が押し掛けるから」
 ロワに聞こえるか聞こえないか程の声でノロが呟いた。
 
 
 

 
 
 ──まずティーポットを沸騰したお湯でこうやってすすいで、温める。
 
 ロワに紅茶の淹れ方を教えてもらった。まず最初の茶葉を使うよりも前の段階で思わず声がでた。ティーポットを温めるだなんて予想もしていない一工程だ。そんなことまでやってたのかと正直驚いた。そもそも最初の手順から誤っていたのだと思うと思わず苦笑した。
「茶葉は飲む人の人数分より一杯分多く入れる」
 味が少し濃いのはこれが理由か。自分で淹れていた時は自分が飲む用に茶葉を少量入れただけだった。
「注ぐ時は茶こしを使ってる」
 カップに注ぐと紅茶の香が部屋に広がって鼻腔をくすぐった。いい匂いだ。
「凄いな……何もかも違う」
「これでノロ、僕が居なくても自分で紅茶を淹れられるね」
「ううん。淹れられない」
「難しかった?」
「もう淹れ方忘れた」
「なんだよそれ」
 ロワが盛大に吹き出して笑う。
 忘れたというのは冗談だが、これだけは言える。例えどんなイシュガルドの一流バトラーが淹れた紅茶でも絶対にロワの淹れた紅茶には敵わない。敵うはずがない。
「ロワが淹れるから美味しい」と言えば、ロワが一瞬きょとんとして、すぐにはにかんだ。
 最後の一滴を注いだカップをノロに差し出す。
「はい、どうぞ」と頬を赤くして言うのだった。

 
 
 

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 恋慕ゴールデンドロップ
 
 
 《参照サイト》
 Fortnum & Mason.「紅茶の「完璧な一杯」の淹れ方」.
 https://fortnumandmason.co.jp/topics/365(参照2021/02/02)

こちらのお話に一応繋がりがありますので、興味が湧いた方は是非ご覧ください♪
A bad man and a bad boy