付き合ったあとのノロロワのお話。
学者本の算術読解に夢中のノロと最近キスをしていないと気づき、
どうにかノロからキスしてもらおうと奮闘するロワのお話。
くおんぬのお誕生日プレゼントで書きました♪HAPPY BIERTHDAY♪
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──夕日には魔法のような力がある。
人の心を動かして、少しだけ大胆にさせる、不思議な力だ。少し前、何かの本で読んだ言葉が、どこかで心に残り続けている。
最近キスをしてない。巴術本があと数ページ。もうあと少しで解読が終わるとラストスパートを駆け抜けようとしたところで、ロワが言い出した。
「ノロ、キスをしよう」
ノロは、一瞬何を言われたのかわからなかった。思わず一呼吸おいてから、本から顔を上げた。
「ん?」
落ちかけた眼鏡を定位置に戻してから今目の前に座る恋人が一体何を言い出したのかと訝しむ。
今ロワは、キスをしようと言ったのか?
それにしては近づいてくる気配もなく、どこかピリッとした真剣そうな空気を感じた。とても今からキスをするような雰囲気でもない。
「今するの?」
ロワはううん、違うよと首を横に振る。
「今月は、いいことがあるごとにキスをする。決めたから覚悟しておいて」
オッドアイの瞳が真剣そうな眼差しが本気だと、有無を言わさず訴えてくる。
ノロは「そうか」とどこか冗談だろうと思いながら返事をした。いいことがあるごとにと言っても、一体それってどういう時を指すのだろうか。わけもわからず、軽く一つ返事をした。それが既に手遅れだと気づいたのは、それからすぐのことだった。
就寝前。いい夢が見れそうだからと触れて離れるような、軽いキスをされた。朝が来れば、心地のいい朝だからと言って今度はおはようのキスをする。まだ眠気眼を擦るノロに、ロワは容赦なく口付けを落としていく。
ロワが紅茶を淹れればまた小鳥が啄むようにキスをされる。そこの本を取ってと頼めば、いつもなら「はい」と差し出してくれるのに、声の代わりに口付けを落とされる。いつ何時、不意なキスをされるかわからない、へんてこな生活。
ロワがいいことがあるごとにキスをすると宣言してから、二、三日。ノロはことあるごとにどきまぎしっぱなしだった。
不意打ちの口付けは、ただ無駄に心臓が跳ねる。だけど、あまりにあっさりとしているから恥ずかしがってる暇もない。この口付けには一体どんな意味があるのだろうとわけもわからぬまま、ロワの気まぐれのような、キスを受け入れ続けた。
「もう、しすぎて唇腫れそう……」
まるで付き合いたて。熱々カップルののろけのような発言だが、ノロとしては深刻な問題だった。あれからまだ三日しか経っていないというのに、どこか唇の紅さが増した気がするし、ぷくりと濡れたように腫れた唇の変化は気のせいではない。それでも誉めて誉めてと子供のようにキスをしてくるロワを拒否するのもなんだか気がひけた。責めるのもどうかと思い、口から漏らすのは少しひりひりと痛む唇の様子だけだった。
「そう? 変わってないよ」
「少し痛い」
不貞腐れたように伝えると、それでもロワは相変わらずにこにこと笑いながら、腫れたらここにフィジクしてあげると言った。
そういう話じゃないだろ。呆れるノロに、なら、今度は鼻にキスしようか? なんて言い出す始末だ。
ノロはロワに向き合った。これはいよいよ何かがおかしい。ロワは何か目的があるはずだが、それが見えない。いざ探るために話そうとすると、それはすぐに阻止された。
「あ、ねぇノロ。ハイドレインジャの庭具、新しいものを買ってきたんだけど、これ、庭に植えに行かない? 今冒険者の間で流行ってるみたいなんだ」
なんだか故意に話題を避けられている気がした。どうして急にいいことがあるごとにキスをするなんて言い始めたのか、聞きたかったのに、言いくるめられて、ノロはため息をついた。
「……わかった、植えてみよう」
「うん」
じっとロワがノロを見た。何事かと思ったがわからない。ただ何かを期待するような目と視線があう。そのまま数秒間、固まっていると、ふいと背中を向けてロワが先に行ってしまった。
どうしたのだろう。わからぬまま、ノロも後を追って庭に出た。庭にはノロが趣味で使う園芸道具の棚があり、その前でロワは立って、スコップを二つもって待っていた。
二人はここがいいだの、あそこがいいだのと相談して、結果、ウッドデッキの真横にハイドレインジャをいくつか植えることにした。ウッドデッキでは普段、気分転換に本を読んだり、紅茶を飲んだりするから、脇にハイドレインジャがあれば目の保養になるじゃないかと思ったのだ。
「いい」
「いいな」
「綺麗だね」
「綺麗だ」
「初夏って感じ」
「確かに。見てると少し涼しげだ」
植えたハイドレインジャを見て、二人は口々に誉めちぎり始めた。
「せっかくだし、少しデッキで過ごさない?」
「ああ、そうしようか」
「僕は紅茶を淹れてくるよ」
鼻歌でも歌い出しそうなロワ。そそくさと家の中に急ぐ後ろ姿を見ながら思わずかわいいと思う。
ノロは学者本の算術読解の続きをしようか迷ったが、たまにはいいかと、そのままデッキに座って、ミストヴィレッジの海を眺めた。ちょうどもうすぐ夕日が海に沈むところだ。見惚れてしまう程の景色に、ぼうっとしていると、ロワがティーポットとカップを二つトレーに載せて嬉しそうにテーブルに置いた。
「最近、ノロ、また学者本の算術読解に夢中だったから、一緒にのんびりできるの嬉しいんだ」
意気揚々と、嬉々としてロワは紅茶をカップに注ぐ。先程までここで作業を始めようか迷っていたが、しなくて正解だった。
ロワは手際よくカップに紅茶を入れ始めると紅茶の香りが辺りにふわりと広がる。
夕日がちょうど落ちる直前。昼と夜の間のこの時間はとても美しい。ロワを見上げれば、ロワの顔にも夕日が差して、その頬を赤く染めていた。長いまつげが少し眩しそうに伏せているのを見て、ふと、腫れた唇も構わず、キスしたいと思った。
立ち上がり、ロワの髪に触れるとロワが驚いた顔で「どうした?」と笑う。返事をせずに、そのまま顎に手を添えた。
「ふっ……んっ……」
ちゅっと音を立ててキスをする。下唇を吸い、やわらかい唇を味わうように食む。ティーポットを手にしていたロワの手がびくりと震えた。ロワの頬は夕日などでは隠せないくらい赤みを増している。多分、ノロ自身もまた赤くなってるのかもしれない。自分の頬も少し熱い。
しばらく口付けをしてからようやく離れると、ロワがふらついて床にへたりこみ、頭を抱えた。
「何、今の……反則」
「ここ数日、反則なほどキスしてきたのはロワだ」
「そうだけど……たまには……と思って」
たまには、の後がもごもごと小さくなったので、聞き取れず、ノロはロワと同じ位置に屈んで「どうした?」と聞き直す。
「最近ノロ忙しそうでそれどころじゃないってわかってたんだけど……たまにはノロからしてほしくて、僕がいっぱいしてたら一回くらいはしてくれるかなって思って」
正直にキスしてと言えばいいのにと思ったのだが、たまにあるロワの回りくどいやり口の甘え方だ。年上なのに、ロワは時々ノロよりも年下のような行動をとる時があった。そんな所も嫌いではなかった。
「なら成功だな?」
「成功だけど、なんか今のタイミングはずるい」
「どこが。したくなったからしただけだ」
「ノロの頭はいつも単純だな。知ってたけど」
うつむくロワの頬に再び手を添えて、口付けをする。腫れた唇が少しだけ痛かったが構わなかった。満足そうに目を閉じたロワは、キスを受け入れていたが、次第にどこか照れ臭そうに笑い出した。ノロもつられて笑った。
「僕もやっぱ、唇腫れてた」
「だろうな?」
ロワのキス月間はわずか三日で幕を閉じたのだった。